今回も書籍「人生格差はこれできまる 働き方の分岐点」についてのお話です。
前回の記事ではサラリーマンの給料の正体について解説してきましたが、今回はこのような方向けの記事です。

頑張り度合いと給料が割に合わない…

会社がもっと社員に還元してくれれば…
サラリーマンをやっていると何かしらこのような不満に思うところが出てくると思います。
今回は「人生格差はこれできまる 働き方の分岐点」の中から、会社の利益と働き方に焦点を当てて解説していきます。
なぜ馬車馬のように働かされなければならないのか?
その理由について、小見出しをピックアップして要点をまとめました。
剰余価値を生み出せるのは労働だけ
「剰余価値」は資本論で定義されているもので、労働者が生み出す価値の事です。
企業側は労働者を働かせることによって、支払た費用以上の価値を生み出せる、つまり利益を上げることができるということです。
企業は労働者から「1日分の労働力」を買い取っている
企業は「労働力の価値」の分だけ給料を払えばいいので、逆に言えば「1日分の労働力」に見合う給料を払っていれば、その分働かせる権利を持っている、と言えます。
もちろん労働法なでの上限が制限されていますが、企業側からしたら当然の主張といえます。
生活費が下がると労働の価値も下がる
資本論的考えでいうと、
生活費が下がる=労働の価値が下がる=剰余価値が上がる
つまり利益が増えるという考え方です。
我々の生活費は、身の回りの必要なもの(価値)で形成されています。それらは、技術の進歩で生産技術が上がり値段が下がってく、つまり価値が下がっていきます。
そうすると、我々の生活に必要なものの値段が下がってくるため、生活費も下がってくる、としています。
このことを
労働者が生み出した技術革新が労働者を苦しめる
とも表現しており、なんとも理不尽だと感じました。
ラットレース
お互いに競争して切磋琢磨するのが資本主義経済です。しかし見方を変えると、誰もが「他人より上」を目指さなければいけないのが、この資本主義経済です。そういう構造になっているのです。
引用元:人生格差はこれできまる 働き方の分岐点
とし、我々の生きている社会はラットレースのようだと例え、社会に出たら走り続けなければならないと伝えています。
「金持ち父さん、貧乏父さん」ではこのラットレースから抜け出すために、不労所得を手にすることを推奨しています。
頑張り度合いと給料が見合わない理由
結論「資本主義社会に身を置いている以上、サラリーマンはみなラットレースに巻き込まれている」ということだと、私は理解しました。
「労働者が頑張っても、企業側は個人の給料分のみを払うのが妥当であるため、頑張り分は企業の利益となり、個人の利益にはつながらない」
これが真理だとすれば、とてもやる気は起きませんよね(笑)
社会全体でみて実際はこのようなことになっているわけではないのでしょうが、私含めて周りにはがむしゃら人間はいましたし、頑張った分がすべて自分の給料になって返ってくることはありませんでした。
ではどうするか?どう考えるか?
頑張っても給料が増えないのであれば、やはり給料以外の収入源(不労所得)を増やし、より豊かになるように考える方が、幸せだと思います。
資本論的考えは、どうしても悲観的で暗い話になりがちなので、読み進めていけばいくほど気分が落ち込んでいきます(笑)
ただただ悲観的になっても未来は明るくはならないので、あえて考え方を変えるほうが良いと思います。
例えば、
「我々は常に新しいものを生み出し続け、楽しみを見つけることで生きる価値が見出せるのだ」
とか
「労働こそ生きる価値、楽しみなのだ」
とか、人それぞれプラスに考えることで見方は変わってきそうですよね。
要は気持ちの問題ということでした。
まとめ
この書籍は資本論をベースに書かれており、マルクスの考え方を踏襲しています。
個人的には少し極端かなと思える考え方もありましたが、資本主義とはそういう一面もあると思うと納得がいきますし、今後の自分の働き方、生き方を見直すきっかけにもなりました。
捉え方は人それぞれですが、一つの考え方として、本書を手に取って読んでみてはいかがでしょうか?
今回はが「【資本論】サラリーマンは馬車馬のように働かされる運命!?」というお話しでした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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